【日常に疲れた貴方へ】恋は雨上がりのように【爽やかな恋模様】
皆さまご無沙汰しております!
ニワカ映画研究所です!
長〜い休止期間経て帰ってまいりました。
ようやく活動再開の目処が立ちましたので
久々の更新になります。
今回取り上げる映画はこちら!
『恋は雨上がりのように』
とっても、とっても爽やかで、
そのタイトル通り雨上がりのように
すうっと心が晴れ渡る。
そんな作品を今回はレビューしていきます。
それではどうぞ〜
1.キャスト
主演は大泉洋と小松奈々。
バツイチ子持ち、都会からちょっと外れた街の雇われファミレス店長。
近藤正己役を大泉洋が。
いつもはお喋りでひょうきんものの大泉さんですが、今回はしがないおじさんを演じます。
特段嫌われている訳ではないが、従業員にはちょっとバカにされてる甲斐性の無さそうなおじさん。
でもほんとはとっても優しくて紳士的で、常識のある人なんですね。
それはもと作家志望で教養に溢れているからか…
なんだか等身大のおじさんですね。
そのおじさんに恋する女子高生、橘あきら役を小松奈々が。
スラっとしたシルエットと目つきの悪さと、感情表現が苦手であることから
クールで近寄りがたく、何を考えているのかわからないと思われがちな彼女。
精神的にも大人に見られることも多い彼女も、中身は
等身大の17歳の女子高生でした。
仲が良かった友達と喧嘩したり、意味もなくイライラしたり
些細なことで笑ったり、衝動的に走りたくなったり。
そんな彼女の淡く爽やかな恋が、この映画では描かれます。
監督は永井聡。
本作以外には
『世界から猫が消えたなら』(2016)
『帝一の國』(2017)
『ジャッジ!』(2014)
といった映画を監督しており、他にはCMの監督、撮影を
主にしているそうです。
他キャストは清野菜名、松本穂香、山本舞香、濱田マリ、戸次重幸、吉田羊など
2.あらすじ
感情表現が不器用で一見クールな17歳の女子高生・橘あきら。
彼女はアルバイト先のファミレス『cafeレストラン ガーデン』の店長である
45歳の近藤正己に密かに想いを寄せている。
自他共に認める“冴えない男”の近藤だが、あきらはそんな彼の魅力を
「自分だけのもの」として、胸に秘めた恋心を募らせていた。
そんなある日、アルバイト中に起こったとある出来事をきっかけに
あきらの秘めたる恋心は大きく動き出していく。
あきらの恋の行方は果たして。。。
3.年の離れた異性との恋愛とは
年の離れた異性の恋愛ってどういう意味なのか。
この映画を世の中の
全おじさんに恋する女子高生
と
全女子高生とワンチャン狙うおじさん
に見ていただきたい。
世間の未成年、ましてや女子高生にガチな恋心抱くおじさんが
如何に気持ち悪くて非常識で私欲の為に動いているか。
逆に常識的なおじさんは女子高生からのラブアピールに
どう反応するのか。
作中であきらが
「周りなんて関係ありません!私は店長が好きなんです!」
と訴えるシーンがありますが、それに対し店長の近藤は
「(周りは)関係あるよ。同年代ならまだしも、女子高生ほど
年齢の離れた橘さんとの恋愛ならそれなりの理由も必要だ。
僕は子供もいるし、もう45歳だよ。」
と応対します。
近藤にとってはあきらの好意は全くの想定外で
最初のあきらからの告白は、ただあきらが店長を嫌っていない
だけなんだと勘違いし受け取るのですが
二度目の告白でようやくあきらの本心を知ることとなります。
冴えないおじさん近藤はバツイチ子持ちの45歳。
その告白を「嬉しい、嬉しくない」よりもまず
「果たしてどうしたものか、、」と困り果てます。
これが正に「普通」の「冴えない」おじさん、近藤の
反応です。そりゃあそうですよね。
異性に好かれることはうれしいでしょうが、相手は女子高生。
多感な時期だし、更には職場の部下で、、
「どうすれば傷つけず穏便に断ることができるだろうか」
なんてことで頭を巡らせるのかもしれません。
対してきらっきらの17歳女子高生、あきらは
まさに10代らしい恋心を抱いています。
店長との最初の出会いは、あきらが病院帰りに
ファミレスにふと立ち寄った時。
あきらは陸上部の短距離のエースでしたが
アキレス腱断裂により、しばらくの安静と休養を
余儀なくされます。
これまで幼いころから打ち込んできた陸上を
出来なくなったあきらは、そのあまりに突然のケガに
絶望し、自分のアイデンティティを失ったことで
ふわふわと、ふらふらと病院の帰り道にあった
ファミレスに足を運びました。
友達の誰も知らない場所で、知り合いの誰にも見られず
ただ外を眺めていたい。
何物でもなくなった自分のことは忘れて、
ただ降りしきる雨の行方を、その雨音を聞いていたい。
こんな気持ちになるのは若さの特権でしょうか。
そんな傷ついた雨空のあきらの心に小さな晴れ間が射します。
あきらのもとに頼んでもいないコーヒーが運ばれてきます。
「あの、わたし、頼んでませんけど。」
「サービスです。ただ雨が止むのを待つのはつまらないでしょう?」
「、、、ありがとうございます。」
「あれ、ひょっとしてブラックコーヒー苦手だった?
ちょっと待ってて。」
先程まで何もなかった男の手のひらに、ミルクが乗っています。
「あっ!」
「きっとすぐ止みますよ。」
あきらにとってどうしようもなく悲しいときに
優しさを与えてくれた人こそが、店長の近藤でした。
その後あきらは、店長への好意からか、ただ時間が有り余っていたからか
自分の住む町からは少し離れた郊外のファミレスで働くこととなります。
こんな一部始終もあってか、あきらの恋心は
どんどん加速していきます。
周りの近藤への評価に「この恋は変なのか」と自問自答するも
近藤の立ち振る舞いや、ちょっとドジで感性が古いこと、
その人柄さや匂い、近藤のすべてが好きになっていきます。
↓近藤のシャツの匂いをかぐあきら
このあきらのフレッシュな感性、恋愛観に近藤は辟易するものの
近藤はかつて自分が何かに打ち込み、情熱を燃やしていた「過去」を、
自分の中の「若さ」を再燃するきっかけとなります。
あきらの、葛藤を抱え悩みながらも何かに真っすぐに気持ちを向ける様が
自分が諦めかけていた夢へ再挑戦する後押しになったのです。
また、あきらにとっては、近藤の存在が自分の本当の気持ちを
知るきっかけとなり
二人はそれぞれ、新しい一歩を踏み出すことととなります。
年の離れた男女の恋愛を描き、且つそれが互いの関係を壊すことなく
お互いを高めあい支えあい、別々の道を歩んでいく。
この結末が
私が失いつつある、 恋愛の淡さ、爽やかさ、ノスタルジックさを
思い出させてくれました。
こんな気持ちは久しく味わっていません。自分のなかの
「若さ」の一部が顔を出したような気がしました。
現実の年の離れた異性の恋愛はこんな風にはならないのでしょうが。
とりあえず女子高生とワンチャン狙うおじさんは死滅してください。
4.芥川『羅生門』とのリンク
作中、近藤が芥川の羅生門の一説を引用し、自分の気持ちを
表すシーンがあります。
「
近藤にとってあきらの告白は「云わばどうにもならない事」であり、
それをどうにかしようとして、とりとめもない考えを辿りながら、
自分の住むアパートに響く雨音を、聞くともなく聞いている
といったことでしょうか。
羅生門は、基本的に暗く鬱屈した本質的な人の有様を、残酷なまでに
リアルに描いています。
本映画では羅生門とは対照的に比較的さっぱりとした描写が多いのですが
いくつかの共通点も見受けられます。
「天気」が人の気持ちとリンクしている点。
そして、雨宿りの為に偶然にも二人の人間が出会う、という点です。
羅生門では「下人」と「老婆」が羅生門にて出会います。
この二人は恐らく本質的には同じ要素を兼ね備えた人物ですが、
その立場や環境が大きく違うため、関係性もいびつであることが
『羅生門』本文を読むとわかると思います。
本映画では、あきらの雨宿りがきっかけとなり近藤とあきらは出会います。
二人は立場も環境も大きく違いますが、近藤は自分の夢半ばにして挫折しており
あきらはケガにより同じく夢を諦めています。
あきらは近藤に惹かれるものの、立場も環境も大きく違うため
こちらも関係性がいびつに描かれています。
ただ『羅生門』とこの映画が違うのは
二人が互いを補うようにして結果成長したという結末。
これが近藤が性欲にまみれ私欲を優先する人物であったなら
『羅生門』の「下人」のごとく
「俺は告白された側だから」とあきらに責任を転嫁し
肉体関係を持つことをしたかもしれません。
近藤が教養に溢れ、紳士的で「大人」な人で
ほんとに助かりました。。。笑
また
芥川が小説の価値を、作者の「詩的精神」の「深浅」と
していたという話を聞いたことがある人はいるかもしれませんが
近藤も同じく、その脳内は「詩的精神」的な思考を
持ち合わせているようで
独特な退廃的思考で物事を考える傾向にあるようです。
この辺りは私の深読みかとおもいますのでスルーしてもらって
大丈夫なのですが、、
とにかく本映画は『羅生門』や芥川にリンクする要素が
たくさんあるようです。
5. 最後に
今回もなんだか深読みの自分語りを繰り広げてしまいました。
兎にも角にもこの映画は良作です!
しばらく洋画ばかり見ていたせいか、日本映画特有の空気感、
それこそ「詩的精神」みたいな感覚がすごく素敵に思いました。
日常生活に少し疲れたそこの貴方!
休日にコーヒーでも飲みながら
是非一度ご覧になることをおすすめします。
重たくなった心が、雨上がりのように気持ちよく晴れるはずです。
晴れ間の空気をすうっと吸い込んで。
それでは今回はこの辺で。
最後までご覧いただきありがとうございました。